歴史概要

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西暦 年号 内容
1600 慶長5 沼田城主・真田信幸が会津沼田街道を整備し、戸倉に関所を設置する。尾瀬沼畔(三平下付近または尾瀬沼東岸)が上州と会津の交易の場となり、明治の中頃まで続く。
1616 元和2 尾瀬(小瀬)の名が「會津風土記」に登場する。小瀬峠が陸奥と上州の境であったことや小瀬沼の存在が記される。
1868 慶応4 戊辰戦争で会津藩士約300名が檜枝岐村に駐在。会津藩士が戸倉へ攻め入り戦が行われ、戸倉の集落と関所が焼かれる。
1890 明治23 平野長蔵氏、沼尻のオンダシ沢に行人小屋を開く(この年が俗に「尾瀬開山の年」と言われている)。
1894 明治27 群馬県派遣の利根川水源探検隊が尾瀬を調査(翌明治28年12月(第1巻第1号)に渡辺千吉(治)郎が雑誌「太陽」に「利根川水源探検紀行」として寄稿)。
1903 明治36 最初の水力発電ダム計画が発表される。
1905 明治38 武田久吉氏(植物学者)が尾瀬へ入山。翌年4月創刊の日本山岳会機関誌「山岳」に「尾瀬紀行」を寄稿。
1908 明治41 大下藤次郎氏(画家)ら4名が尾瀬へ写生旅行のため入山。「みずゑ」臨時増刊号(尾瀬特集号)に発表する。
1934 昭和9 日光国立公園の一部として国立公園に指定される(12/4)。
1949 昭和24 「尾瀬保存期成同盟」(日本自然保護協会の前身)が学者、文化人、登山家を中心としたメンバーにより結成され、請願運動を行う。
NHKラジオで「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直、歌:石井好子)が放送される(6/13)。
1950 昭和25 第1次尾瀬総合学術調査がはじまる(~27年)。
1952 昭和27 皇太子殿下(当時)が2月26日にスキーで三平峠から尾瀬へ入山。3月3日に富士見峠から下山する。
前橋営林局山口営林署により福島県側に木道の敷設が開始される。
1953 昭和28 尾瀬ヶ原一帯が日光国立公園の特別保護地区に指定される(12/22)。
1956 昭和31 国指定の天然記念物に指定される(8/9)。
1958 昭和33 尾瀬林業観光(株)(現在の東京パワーテクノロジー(株)尾瀬林業事業所)により群馬県側に木道の敷設が開始される。
1960 昭和35 文化財保護法による特別天然記念物に指定される(6/1)。
1963 昭和38 戸倉~鳩待峠間の車道が開通、マイクロバスの運行が開始される。
1966 昭和41 群馬県がアヤメ平で湿原裸地回復事業を開始する。
1970 昭和45 御池~尾瀬沼(沼山峠)線(9.6㎞)が自衛隊の協力により開通する。御池~沼山峠間で会員制バス運行が開始される。
1972 昭和47 「ごみ持ち帰り運動」がはじまる。
1977 昭和52 第2次尾瀬総合学術調査がはじまる(~54年)。
1988 昭和63 「尾瀬を守る懇話会提言」が出される(5/30)。
1994 平成6 第3次尾瀬総合学術調査が始まる(~8年度)。
1995 平成7 (財)尾瀬保護財団が設立される。
2005 平成17 尾瀬がラムサール条約湿地に登録される(11/8)。
2006 平成18 「尾瀬の保護と利用のあり方検討会」が「尾瀬ビジョン」を環境省に提言する。
2007 平成19 尾瀬地区が日光国立公園から分離・独立し、会津駒ヶ岳地域および田代山・帝釈山地域を加えて「尾瀬国立公園」として指定される(8/30)。
2008 平成20 尾瀬認定ガイド協議会が設立される(現在の尾瀬ガイド協会)。
2017 平成29 第4次尾瀬総合学術調査が始まる(~R1年度)。
2018 平成30 尾瀬ビジョンを改訂し、「新・尾瀬ビジョン」が策定される(9/10)。
水力発電計画の歴史
西暦 年号 内容
1903 明治36 最初の水力発電ダム計画が発表される。
1914 大正3 鬼怒川水力電力会社による水力発電計画が発表され、同社が尾瀬の水利権を獲得しようとしていたことが明らかとなる。
平野長蔵が尾瀬沼で漁業権を獲得し、尾瀬沼周辺の土地所有者である横田千之助と魚の養殖業を共同経営する。
1918 大正7 利根発電(株)(明治43年設立)が水力発電のため土地を横田千之助から買収する(大正10年東京電燈に買収され実現せず)。
1919 大正8 信越電力が尾瀬・只見川の水利権を出願し、内務省が認可する。
1922 大正11 関東水電(株)(東京電力の前身)が尾瀬ヶ原・尾瀬沼等の水利権を獲得する。福島・群馬・新潟県に只見川の流域変更(6,012㎡)を申請し許可される。
平野長蔵氏、水利権認可の取り消しの訴願を起こす。平野長蔵一家が尾瀬に移住する。
政府糾弾群馬県民大会で「尾瀬沼水力電気問題調査委員会」を併集し、内務省の認可阻止を決議する。
1934 昭和9 日光国立公園の一部として国立公園に指定される(12/4)。
1942 昭和17 配電統制令により関東配電が水利権を得る。
1944 昭和19 尾瀬沼の取水計画が発表され、発電水路工事が開始される(戦争で一時休止)。
1947 昭和22 尾瀬沼発電水路工事について、学者、日本発送電、農林省、文部省、福島県、群馬県の関係者40名が長蔵小屋に集まり、その可否について協議する(工事反対は平野長英氏のみ)。
尾瀬沼発電水路工事について「不必要になれば廃棄する」「尾瀬ヶ原には今後一切手をつけない」という口約で許可され、工事が再開される。
1948 昭和23 尾瀬ヶ原を高さ100mの堤体で区切って13万㎢の大貯水池(尾瀬沼の約8倍)とし、貯水量7億2千㎥、発電量230万kwとなる巨大ダム発電計画が発表される。
1949 昭和24 尾瀬ヶ原の貯水池化計画が進行するが、文部省が尾瀬ヶ原の天然記念物指定を検討していたため、計画にストップをかける。
「尾瀬保存期成同盟」(日本自然保護協会の前身)が学者、文化人、登山家を中心としたメンバーにより結成され、請願運動を行う。
尾瀬沼取水ダム堰堤工事が完成する。
1950 昭和25 東京電力(株)が尾瀬ヶ原ダム計画を発表する。
尾瀬沼の水が発電用にナメ沢(片品川の源流)に通水される。
1958 昭和33 奥只見電源開発工事が着工する。
1963 昭和38 東京電力(株)が3たび尾瀬ヶ原発電計画を発表する。
1965 昭和40 福島・新潟両県議会が尾瀬分水反対を決議する。福島・新潟両県知事および両県議会が合同で国会および関係方面に尾瀬分水反対を陳情する。
1966 昭和41 東京電力(株)の水利権と発電計画の10年間の延長(昭和51年3月31日まで)が承認される。
1996 平成8 東京電力(株)が尾瀬ヶ原の水利権期間伸長申請を見送り、水利権を放棄する。
車道計画の歴史
西暦 年号 内容
1934 昭和9 日光国立公園の一部として国立公園に指定される(12/4)。
1940 昭和15 日光国立公園利用計画に会津沼田街道を県道沼田・田島線として車道化する計画が位置付けられる。
1949 昭和24 日光国立公園利用計画で県道沼田・田島線は主要地方道大清水・七入線として再確認される。
1960 昭和35 七入~御池間の道路が着工する(昭和38年完成)。
1965 昭和40 御池~尾瀬沼(沼山峠)線が着工する(昭和45年完成)。
1966 昭和41 大清水以奥の道路拡幅工事が始まる。
1967 昭和42 厚生省や文化財保護委員会、福島・群馬・新潟県が協議し、日光国立公園尾瀬地域の公園計画「尾瀬を守る計画」を決定する。主要地方道大清水・七入線の公園計画車道を、特別保護地区外の小淵沢田代を経由するルートに迂回することに変更する。
1969 昭和44 大清水~柳沢間の道路(1.9㎞)が完成する。
1970 昭和45 厚生省により、主要地方道大清水・七入線のうち柳沢~三平峠間(6.1㎞)の工事が認可される。
御池~尾瀬沼(沼山峠)線(9.6㎞)が自衛隊の協力により開通する。御池~沼山峠間で会員制バス運行が開始される。
1971 昭和46 柳沢~一ノ瀬間の道路が完成、岩清水が失われる(6/20)。
環境庁が発足する(7/1)。
平野長靖氏が大石環境庁長官に直訴する(7/21)。
大石環境庁長官が尾瀬を視察し(7/30)、一ノ瀬以奥の道路建設の中止または路線変更の意向を表明する(8/1)。
環境庁長官が三県知事と会談し、道路計画の一部変更(一ノ瀬以奥)を要請する(8/18)。
自然公園審議会(現「中央環境審議会」)が尾瀬の車道計画の一部(三平口~沼山口)廃止を答申する(11/9)。
工事の中止が閣議で了承され、未承認の三平峠~沼山峠間の尾瀬車道計画についての公園計画が廃止となる(12/21)。
<参考資料>
尾瀬の足あと-尾瀬歴史年表- 波戸場秀幸(煥乎堂,1984)
尾瀬100年-登山と自然保護- 宮澤邦一郎(煥乎堂,1984)

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