尾瀬保護財団

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尾瀬の歴史

年号 西暦 月日 記事
天正 18年 1590年   豊臣秀吉、真田昌幸を利根郡の領主とする。昌幸の子、信幸が初代沼田城主となる。
慶長 5年 1600年   関ヶ原合戦年、初代沼田城藩主、真田信幸が、沼田街道を全面整備する。
この頃 尾瀬沼畔が上州と会津の交易の場となる。
寛永 19年 1642年   銀山平境界争い始まる(会津・越後の境界争い)。
20年 1643年 檜枝岐など会津5ヶ村が、会津・越後境界争いで幕府に上訴。江戸から役人が実地検分に来る。
天保 3年 1646年 3月4日 会津・越後の国境を只見川と決定。
元禄 11年 1698年 6月2日 沼田領土出村山守と会津領檜枝岐名主との間に国境の画定が行われる(現在の県境)。土出村、戸倉村と檜枝岐村の境界決定する。
慶応 4年 1868年 5月 戊辰の役で会津藩士約300名が檜枝岐に駐在、戸倉まで遠征し、戸倉戦争が沼田会津街道で展開(会津勢と官軍の戦)。戸倉の部落が焼かれ、関所も焼失する。この際、大江湿原に会津軍防戦のため作ったと思われる土塁を今でも見ることができる。
明治 元年 11月6日 会津藩降伏。
5年 1872年 7月 日光道(片品村東小川~金精峠)の建設着工。
6年 1873年 10月 日光街道(現在の金精道路・国道120号線)が沼田街道の枝道として完成。
9年 1876年 片品地域、群馬県の管轄となる。
13年 1880年 檜枝岐村が郡区制廃止により南会津郡となる。
22年 1889年 9月24日 平野長蔵氏、燧ヶ岳を開山、燧ケ岳山頂に石祠を建立。
23年 1890年 8月1日 平野長蔵氏、尾瀬沼沼尻に行人小屋を設置(この年が俗に「尾瀬開山の年」といわれる)。
31年 1898年 7月上旬 早田文蔵氏(後の東大教授・植物学者)植物調査で入山。沼尻平にてナガバノモウセンゴケを発見。
36年 1903年 初めて尾瀬ヶ原の水力発電ダム計画が発表になる。
38年 1905年 7月 武田久吉氏、尾瀬初入山。翌年4月創刊の「山岳(日本山岳会機関誌)」に「尾瀬紀行」を発表。
41年 1908年 7月15日 大下藤次郎ら4名の画家が尾瀬を写生旅行。「みずゑ」臨時増刊号(尾瀬特集号)に発表。
43年 1910年 平野長蔵氏、沼尻に初の山小屋・長蔵小屋を建てる。
44年 1911年 衆議院で「国設大公園設置に関する建議案」が可決される。
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2年 1927年 関東水電㈱、権利の喪失を防ぐため、設計変更願を提出。
6月 武田久吉氏、田村剛氏が東京営林局の委嘱で、発電計画にからんで現地調査を行い、調査書提出。
武田久吉氏、「春の尾瀬」発表。
8月12日 尾瀬沼が日本百景に推薦される。
3年 1928年 6月 上毛電力㈱による丸沼発電所の工事開始。専用自動車道を鎌田~丸沼間開設。
武田久吉氏、「秋の尾瀬」発表。
4年 1929年 1月 国立公園協会発足。
7月6日 原寛博士、至仏山でオゼソウ採集。
5年 1930年 禁漁区に指定される。
文部省天然記念物調査委員の実地調査により尾瀬が「指定価値あり」と報告されたが、政治上の理由により実現せず。「天然記念物調査報告書」の形で尾瀬の動植物を紹介。
8月20日 平野長蔵氏死去(59歳)。
6年 1931年 4月1日 国立公園法公布。
10月1日 国立公園法施行。
画家田中保雄氏、同好者によって「尾瀬の会」組織、「尾瀬」第1号を発表。
7年 1932年 尾瀬への年間入山者数2500名程度(平野長英氏調査)。
9年 1934年 9月1日 李王殿下、尾瀬に来遊。
12月4日 日光国立公園の一部として国立公園に指定(第二次指定国内4番目の国立公園)。
10年 1935年 天然記念物の指定が内定されたが、見送られる。
平野長英・星段吉両氏が、温泉小屋~柴安嵓への道(現在の温泉小屋道、2008年より廃道)を拓く。 
10月 東京電灯㈱、三たび尾瀬発電のための尾瀬ヶ原ダム計画を発表。
12年 1937年 段吉新道(温泉小屋~御池)開通。
13年 1938年 5月13日 日光国立公園特別地域に指定。
15年 1940年 1月1日 公園利用計画の一部として、尾瀬沼畔を通る旧沼田街道を県道沼田~田島線の名で車道化計画決定。
17年 1942年 4月1日 配電統制令により、配電関係が9配電会社に整理され、関東配電が創立、水利権が移る。
19年 1944年 尾瀬沼の取水発電計画発表。尾瀬沼水路工事開始(戦争で一時休止)。
22年 1947年 7月 尾瀬沼発電水路工事について、学者・日本発送電・農林省・文部省・群馬福島両県関係者40名が、長蔵小屋で可否を協議(反対は平野長英氏1名)。
尾瀬沼発電水路工事再開。「不必要になれば廃棄する」「尾瀬ヶ原には今後一切手を付けない口約をもって」許可。
23年 1948年 尾瀬ヶ原に高さ100mのダムを作り、尾瀬ヶ原を13万k㎡(尾瀬沼の8倍)の大貯水池とし、貯水量7億2千万km3、230万kwの巨大ダム発電計画が発表される。
24年 1949年 1月 尾瀬ヶ原貯水池化計画進むが、文部省は天然記念物指定を検討していたためストップをかける。
10月15日 公園利用計画の追加決定。県道沼田~田島線は主要地方道大清水~七入線として再確認される。
10月27日 国立公園協会内に、尾瀬保存期成同盟(日本自然保護協会の前身)が、学者・文化人・登山家を中心に結成、請願運動を行う。市民運動の先がけとなる。
11月11日 沼尻に尾瀬沼取水ダム堰提工事完成。このため水位の上下による植物の枯死始まる。早稲ッ沢湿原の白い砂浜が姿を消す。
NHKラジオで「夏の思い出」を放送。
尾瀬沼集団施設地区のほか、歩道、園地、宿舎の一般計画決定。
25年 1950年 4月19日 国立公園協会、財団法人として認可。東京電力㈱、尾瀬ヶ原ダム計画発表。尾瀬保存期成同盟、国会請願。
“群大の井戸”中田代に掘る。
10月25日 「尾瀬ヶ原地帯を水源とする地域の電源開発に関する研究」報告書を群馬県知事公室企画室で発行。
11月15日 尾瀬沼の水、発電用にナメ沢(片品川の源流)に通水される。
文部省“尾瀬ヶ原総合学術調査研究”第1回調査。植物学・動物学・地質学・気象学・化学などの研究担当者によって「尾瀬ヶ原及びその周辺地域の総合的調査」(研究報告発行は1954年)
26年 1951年 5月1日 電気事業再編成令(電力再編成)により、日本発送電と9配電会社が解体再編成され、現在の9電力体制が出来上がる。
7月23日 日本自然保護協会設立(尾瀬保存期成同盟を母体として)。
尾瀬入山者、4万人台に。
27年 1952年 2月27日 皇太子、スキーで三平峠より入山、3月5日富士見峠より下山。
尾瀬沼南岸路(小沼へ行く道)作られる。
9月 日本自然保護協会が、尾瀬ヶ原の自然保護問題を国連内の世界自然保護連盟に提訴。外務省への勧告が出る。
福島県側、木道敷設開始(山口営林署)。
28年 1953年 自然公園法により、尾瀬ヶ原一帯を日光国立公園特別保護地区に指定。
30年 1955年 日本自然保護協会特別委員会が「尾瀬ヶ原の電源開発計画全廃」の第2次陳情を行う。
檜枝岐青年団が俎嵓~御池平の道を拓く。
尾瀬沼の補償、東電との間に成立。奥只見発電所建設補償妥結。
31年 1956年 8月9日 国指定天然記念物になる。尾瀬ブーム起こる。
32年 1957年 6月1日 自然公園法制定。
長蔵小屋前に無料診療班丸太小屋診療所開設。以降、山ノ鼻と下田代十字路にもできる。
下田代十字路(見晴地区)宿舎整備される。見晴地区観光施設竣工。
自然公園法の規定により、高山植物その他類する植物が指定(厚生省)。
特定森林地域開発林道として全国23計画中に奥鬼怒スーパー林道の計画が含まれる。
33年 1958年 7月 日光国立公園尾瀬管理員駐在(厚生省当時)。
尾瀬沼集団施設地区の土地、農林省から厚生省に移管。
奥只見電源開発工事着工。尾瀬見晴地区送電線工事完成。
尾瀬ヶ原、その他に山小屋が増え始める。
34年 1959年 厚生省の管理事務所開設(現環境省尾瀬自然保護管詰所)。
群馬県側の尾瀬ヶ原湿原木道敷設開始(尾瀬林業観光)。
9月26日 伊勢湾台風(台風15号)で、沼周辺の原生林三百数十本が倒れる。
11月30日 尾瀬ヶ原に簡易水道完成。
11月 平野長英氏、燧新道(長英新道)4,535mを拓く。
尾瀬沼集団施設地区詳細計画決定発表。
見晴地区の土地、農林省から厚生省に移管。
35年 1960年 3月25日 文化財保護法による特別天然記念物に指定。
9月 七入~御池線道路着工。
奥鬼怒スーパー林道、一部着工。
36年 1961年 6月中旬 檜枝岐村、福島医大、日赤福島支部の応援を得て、「尾瀬ヶ原診療所」を毎週金・土の2日間開設。
7月20日 山小屋に電灯がつく。
奥只見ダム完成、奥只見発電所完工。
37年 1962年 尾瀬ロッジ(片品村営)竣工、営業開始。
38年 1963年 戸倉~鳩待峠間の車道開通。
東京電力㈱、尾瀬ヶ原発電計画を三たび発表。
新潟・福島・群馬3県による「尾瀬・只見国際観光ルート建設協議会」結成。自然破壊始まる。
竜宮小屋火災。
9月23日 七入~御池線完工。御池までバス運行開始。
39年 1964年 尾瀬沼ビジターセンター開設。
新潟・福島・群馬3県の建設促進会議で、特別保護区特別天然記念物地区に車道を通すことを3県連合で要求することを求める。
5月 檜枝岐村営国民宿舎「尾瀬沼ヒュッテ」竣工。
40年 1965年 4月 新潟県議会議長名をもって尾瀬分水反対を国会に請願。
5月18日 群馬県が「尾瀬の水資源を利根川の水源として早期開発することについて」の意見書採択、関東各県にも要請。
7月9日 御池~尾瀬沼(沼山峠)線、自衛隊により着工。(43年8月27日完成)
7月 福島県議会、尾瀬分水反対を決議。
8月 新潟県議会、尾瀬分水反対を決議。
8月 福島・新潟両県知事・県議会合同で、国会及び関係方面に分水反対を陳情。
10月7日 金精有料道路8.2km(片品村~日光湯元)開通。
10月12日 群馬県議会「尾瀬水利対策特別委員会」を設置。
12月2日 関東1都5県議長会で「尾瀬水利対策期成同盟会」を結成。
41年 1966年 3月17日 日本自然保護協会「東京電力の尾瀬ヶ原湿原全域を水没させる水利権に基づく発電計画を含む権利10年間延長を不許可にせよ」と陳情書提出(尾瀬の東電所有地の国への返還を要求)。
3月31日 東京電力㈱の水利権・発電計画10年間(昭和51年3月31日迄)延長認可。
7月 群馬県教育委員会アヤメ平を中心に、福島県尾瀬ヶ原を中心に、湿原の裸地回復事業開始。
10月 自然保護センター(山ノ鼻)開所。予算1,500万円、建設は文化庁、管理は県教育委員会「群馬県尾瀬保護管理センター)
後半 大清水から奥の道路拡幅工事開始。
この年 国立公園協会から日本で初めての自然解説員が派遣される。
この年 群馬県利根漁協組から「尾瀬沼と沼尻川は県境にあるのだから、檜枝岐漁協組単独漁業権を共同漁業権に」との申入れが認可され、稚魚放流などの事業計画を両漁協組共同で行うようになる。
42年 1967年 12月5日 厚生省は文化財保護委員会・地元3県などと話し合い、日光国立公園尾瀬地域の公園計画「尾瀬を守る計画」を決定。昭和24年の計画路線(大清水~尾瀬沼畔~七入の公園計画車道)を、特別保護地区外の小淵沢田代を経由するルートに迂回することを主な内容としたものに指示。
この年 尾瀬沼のボート廃止。釣禁止となる。
43年 1969年 7月 坤六(こんろく)峠(湯ノ小屋林道)完成。
44年 1969年 尾瀬林業によるアヤメ平湿原裸地化回復事業始まる。
45年 1970年 3月 厚生大臣、三平峠工事(大清水~七入線の、柳沢~三平峠間6.1km)認可。
5月 御池~沼山峠間の車道(9.6km)が、自然破壊の声を無視して自衛隊の協力で開通される。
この年 奥鬼怒スーパー林道着工。(当時の計画は、日光光徳~川俣温泉~奥鬼怒湿原北方~小淵沢湿原~ここで沼田・田島線と合流)
46年 1971年 5月 雪解けを待って、一ノ瀬~岩清水間の車道工事開始。急ピッチに工事進む。
6月20日 三平峠入口の岩清水がブルドーザーによって無惨につぶされる。
7月1日 環境庁(自然保護局を含む)発足。
7月21日 平野長靖氏、大石環境庁長官に直訴。
7月30日 大石環境庁長官、尾瀬視察。中止又は路線変更の意向表明。
8月19日 神田群馬県知事、「工事中止と路線変更を検討する」と語る。これに対し大竹竜蔵片品村長、県議会に対し「規定コース通りの建設促進」を強硬陳情。
8月20日 現ルートでの車道建設断念。
8月21日 尾瀬の自然を守る会発足。全国に自然保護運動広がる。「趣味の運動」が「レジスタンスの運動」に市民運動が転換する。
9月27日 日光の自然を守る会他、大石環境庁長官に陳情。長官は「八丁ノ湯より先の建設は認可しない」と言明。
11月19日 自然公園審議会は、尾瀬の車道計画の廃止を決定、大石環境庁長官に答申。
11月 鳩待峠車道の整備進む。津奈木橋完成。
12月1日 平野長靖氏、豪雪の三平峠で遭難死(享年36歳)。
「尾瀬の自然を守る会」発足、工事中止が閣議で了承。尾瀬車道計画についての公園計画廃止。
47年 1972年 4月15日 平野長英氏、尾瀬沼の渡船を破棄、焼却。
5月11日 群馬県尾瀬憲章制定。
6月17日 銀山湖~沼山峠間、尾瀬只見観光ルートとして開通。
7月22・23日 国立公園協会提唱で、環境庁・地元3県・関係団体による「尾瀬におけるゴミ持ち帰り運動」始まる。以降、毎年「環境週間」並びに「自然に親しむ運動期間」中実施。
12月21日 群馬県、「尾瀬車道は大きく迂回して作りたい」と発表。
この年 湯之谷村~檜枝岐線(赤岩~御池)村道開通。
48年 1973年 2月10日 群馬県予算委員会で、一ノ瀬の三平橋上部に1万㎡・400台収容の大駐車場建設の予算1,300万円を組む。
3月9日 尾瀬を守る連絡協議会発足。
この頃 建設省、戸倉ダム構想を発表。
49年 1974年 6月5日 自然保護憲章制定。
6月 環境庁、「自動車利用適正化要網」打ち出す。尾瀬で交通規制が始まる
51年 1976年 8月23日 「檜枝岐の舞台」国の重要無形民族文化財に指定。
53年 1978年 11月 尾瀬ヶ原見晴集団施設地区の、し尿汚水排水用パイプライン対策試験工事始まる。
56年 1981年 1月1日 主要地方道、大清水~七入線国道(401号)に昇格。
8月20日 群馬県58国体事務局山岳競技コース説明会で新登山道建設計画発表(笠ヶ岳コース)。
9月29日 笠ヶ岳学術調査団群馬県に「笠ヶ岳新登山道建設反対」の要望書提出。
9月30日 群馬県9月定例県議会総務企画委員会で、県側「国体新ルート建設断念」示唆。
59年 1984年 環境庁が日光国立公園尾瀬地域管理計画を策定。
60年 1985年 6月 「尾瀬の自然を守る会」が尾瀬の保護についての提言を出す。
61年 1986年 2月 「尾瀬を守る懇話会」発足。
63年 1988年 1月 平野長英氏、急性心不全のため逝去(享年84歳)。
5月 「尾瀬を守る懇話会提言」が出される。
9月16日 環境庁・福島県・群馬県・新潟県・檜枝岐村・片品村・湯之谷村(魚沼市)による尾瀬地区保全対策推進連絡協議会(以下「協議会」)を設置。
平成
平成
平成
元年 1989年 4月25日 協議会が至仏山東面登山道閉鎖を決定。
2年 1990年 1月14日 環境庁入山料構想断念(内閣法制局が土地所有権なき徴収不可能との見解)。
4月1日 尾瀬の山小屋で風呂休止日導入。
5月24日 協議会が尾瀬地区保全対策についての取り決めを行う。
3年 1991年 至仏山東面登山道整備事業始める。
4年 1992年 8月4日 群馬、福島、新潟3県知事による第1回「尾瀬サミット」開催。
尾瀬の山小屋宿泊定員予約制導入を決定、翌年から実施。
5年 1993年 5月 群馬県尾瀬山の鼻ビジターセンター開設。
竜宮公衆トイレ供用開始。
6年 1994年 第3次尾瀬総合学術調査開始。
8月2日 群馬、福島、新潟3県による「尾瀬子どもサミット」開催。
7年 1995年 6月13日 尾瀬保護財団設立発起人会開催。
8月3日 尾瀬保護財団設立。
8年 1996年 2月 尾瀬ガイダンス始まる。
3月 東京電力が尾瀬ヶ原の水利権を放棄(尾瀬沼の水利権は継続)。
5月 尾瀬山の鼻、尾瀬沼の両ビジターセンターの管理運営を尾瀬保護財団が受託。
山ノ鼻公衆トイレ供用開始。
第1回「わたしの尾瀬」フォトコンテスト
12月8日 「尾瀬の自然を守る会」解散。
この年 尾瀬の入山者数が1988年の計測開始から最高の647,523人になった。
9年 1997年 4月25日 第1回尾瀬入山適正化検討委員会。
8月1日 至仏山東面登山道供用再開。
9月 日光国立公園尾瀬地域管理計画変更。
10年 1998年 5月11日 残雪期の至仏山登山道閉鎖が始まる(毎年5月11日~6月30日まで)。
6月18日 第1回尾瀬賞授賞式が行われる。
6月18日 (財)尾瀬保護財団の「尾瀬入山適正化検討委員会」で、入山者が1万人を超えないことを関係者で合意。
11年 1999年 4月29日 (財)尾瀬保護財団が、環境庁長官から「自然環境功労者大臣表彰」を受賞する。
12年 2000年 7月8日 尾瀬保護財団主催による「シンポジウムー尾瀬とシカー」開催。
移動尾瀬自然教室が始まる。
10月19日 県道沼田檜枝岐線(一ノ瀬~岩清水間)の廃止にともなう「ブナ植林作業」実施。
13年 2001年 1月6日 中央省庁編成により環境庁が環境省に改編。
11月27日 尾瀬地区ゴミ処理対策申し合わせ。
14年 2002年 2月14日 (財)日本自然保護協会が環境省に対し、「尾瀬での携帯電話」について意見書を提出。
2月 長蔵小屋の廃材不法投棄が明るみになる。
3月8日 「尾瀬での携帯電話」について、自然保護団体からの公開質問状に対し、財団理事長が回答。
9月 山ノ鼻公衆トイレ建て替え(平成7年)に際し、旧トイレの浄化槽が地中に放置されていることが明るみになる。
9月3日 尾瀬サミット2002で、「21世紀の尾瀬への宣言」を採択。
15年 2003年 2月20日 至仏山保全対策基本方針作成。
9月10日 大清水・一ノ瀬間で電気自動車の試験運転。
9月11日 尾瀬サミット2003、檜枝岐村で開催。
8月5日 見晴地区で申し合わせに違反し、ゴミを焼却処分していたことが判明。
8月10日 尾瀬サミット2004、湯之谷村で開催。
17年 2005年 2月7日 (財)尾瀬保護財団が「関東甲信越地域放送文化賞」を受賞。
8月19日 尾瀬サミット2005、群馬県片品村で開催。環境省の南川秀樹・自然環境局長は、日光国立公園に含まれる「尾瀬地域」を単独の「尾瀬国立公園」とすることに前向きな姿勢を示した。
11月8日 ラムサール条約湿地に登録。
12月17日 尾瀬保護財団設立10周年記念シンポジウム開催。
この年 尾瀬の入山者数が1988年の計測開始から最低の317,847人になった。
尾瀬の利用体験から見た社会的収容力が、尾瀬全体で5,000人/日程度と算出。
18年 2006年 6月 見晴地区で過去のゴミが発見される。
7月 沼尻地区でも過去のゴミが発見される。
8月25日 尾瀬サミット2006で「ゴミのない尾瀬を実現する宣言」を採択。
9月 山ノ鼻地区で過去のゴミが発見される。
10月 山ノ鼻地区で過去のゴミ撤去作業を関係者及びボランティアで行う。
11月30日 尾瀬の保護と利用のあり方検討会で作成した「尾瀬ビジョン」を環境省に提出。
19年 2007年 6月 沼尻地区で過去のゴミ撤去作業を関係者及びボランティアで行う。(9月に2回目行う)
8月30日 尾瀬国立公園誕生(全国で29番目、分離・独立公園としては全国初)。
8月30・31日 尾瀬サミット2007、片品村で開催。
10月 山ノ鼻地区で過去のゴミ撤去作業を関係者及びボランティアで行う。

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