尾瀬保護財団

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秘話 その13 「猟師、画家、ガイド」

尾瀬ヶ原の東端に位置する見晴地区では発電機の低音が聞え、その音はどこか懐かしく、訪れる人を暖かく包み込むようです。そんな見晴で、訪れる登山者を暖かく迎え続けてきた桧枝岐小屋の「ひげくま」さんこと萩原英雄さんに、お話を伺いました。

萩原 英雄

桧枝岐小屋
萩原 英雄

祖父は猟師、父は画家

煙管を吹かす岩雄さん煙管を吹かす岩雄さん
桧枝岐小屋館内に展示されている八一さんが描いた尾瀬の絵桧枝岐小屋館内に展示されている
八一さんが描いた尾瀬の絵

「桧枝岐小屋は昭和20年代後半に、祖父岩雄が建てました。見晴に小屋を建てたのは、見晴には清水が湧いていて、生活しやすかったからだと思います。祖父は、夏は尾瀬で魚釣りや猟をし、冬は戸倉で曲輪を作って生活していました。中でもイワナ釣りが得意で、名人と言われていました。その頃は釣った魚を山小屋の食事で出したり、麓の旅館に卸したりしていました」と、桧枝岐小屋に併設された喫茶「ひげくま」で萩原さんは話を始めてくれました。

「昭和30年くらいになると、父八一(やいち)が小屋をきりもりするようになりました。父は絵を描くことが得意で、小屋主として見つめてきた尾瀬を、キャンバスに描き残してきました。毎年春と秋、画家の三宅策郎先生が小屋に来ていて、先生から絵を習っていました。父は恥ずかしいという気持ちからか、絵にサインを入れることはなかったのですが、晩年の頃になると、三宅先生からも腕を認められて、サインを入れたほうがよいと言われるほどでした」と、山小屋主と画家という二つの顔を持っていた八一さんの話をしてくれました。

山小屋主になった頃

萩原さんと尾瀬の関わりについて伺うと、「私は、幼いころから尾瀬、そして山小屋と関わってきました。中学生の頃には、入山者が多くなりはじめた鳩待峠から、ボッカとして卵やビールなどの物資を運んだり、山小屋でランプのホヤ掃除や油差しなどの手伝いをしていました。その後、いったん就職して山小屋に戻ってきたのが22歳の頃でした。私は長男だったから、いつかは山小屋に入るという気持ちは持っていましたが、はじめのうちは山小屋の仕事がわからなくて苦労しました。特に、ボイラーや発電機の故障は、今では自分で直すことができるような簡単な修理でも、故障の度に麓から業者を呼んでいましたので、直すのに数日かかってしまうこともありました。発電機といえば、当時の発電機は、毎朝手で稼働機を回して動かしていましたが、その回すときに鳴る独特な音がとてもいい音で印象的でしたね」

山小屋主とガイド
尾瀬のガイドをする萩原さん(通称ひげくまさん)尾瀬のガイドをする萩原さん
(通称ひげくまさん)

「私は、山小屋主として大切にしていることがあります。それは、山小屋に来るお客さんを『いらっしゃい』と迎え、『ありがとう』と見送ることです。こういったことまで従業員任せにするのは悲しいことだと思っています。また、尾瀬に来るお客さんを歓迎したいという気持ちからガイドをやっています。ガイドをする山小屋主は尾瀬の中でも少ないのではないでしょうか。ガイド中に心がけているのは、安全とすべての方への気配りを忘れないことです。また、目の前にある尾瀬の解説だけでなく、尾瀬の“次の季節”の話をするようにしています。それは、四季折々の表情を持つ尾瀬を知ってもらい、違う季節の尾瀬にまた来てもらいたいからです。尾瀬を歩いていて、以前にガイドをしたお客さんから声をかけてもらうと本当に嬉しいです。そういったふれあいや交流が山小屋で働く私の原動力になっています」山小屋主としてガイドを行う萩原さんは、尾瀬を訪れる人に、やさしく、そして時には厳しく接しながら、尾瀬の魅力を伝え続けています。

桧枝岐小屋 データ

喫茶「ひげくま」と併せて暖かく登山者を迎える桧枝岐小屋喫茶「ひげくま」と併せて暖かく登山者を迎える
桧枝岐小屋

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