尾瀬保護財団

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秘話 その11 「尾瀬の先輩方を追いながら・・・」

燧ヶ岳の麓に位置し、古くは、富士見峠から東電小屋への物資運搬の要所としても賑わっていた見晴。そんな見晴で尾瀬の自然と共に弥四郎小屋を営んできた橘良一さんに、お話を伺いました

橘 良一

弥四郎小屋
橘 良一
Ryouichi Tachibana

弥四郎爺とわたし
弥四郎小屋と燧ヶ岳(昭和31年)弥四郎小屋と燧ヶ岳(昭和31年)

「私の祖父の弥四郎は、14歳のころになると、檜枝岐村から尾瀬に入り、猟や魚釣りをしていました。当時は獲物がたくさん捕れてよほど楽しかったのでしょうか、14日間という約束で独りで尾瀬に入ったのですが、期間を過ぎても村に戻って来なかったので、家族が心配して尾瀬まで迎えにきたこともあったようです。猟や魚釣りが好きだったことや、平野長英さんの勧めもあり、昭和7年に弥四郎小屋を始めました。祖父は昭和28年に亡くなりましたが、私は祖父が亡くなった翌日に生まれました。祖父との不思議なつながりを感じます」と、橘さんは弥四郎さんにまつわる思い出から話を始めてくれました。
「私は小学校にあがると、夏休みは、尾瀬で過ごしていました。見晴には6軒の山小屋があるので、子どもも多く、遊ぶのが忙しかったです。そのため、夏休みの絵日記などの宿題がたまることも多く、子どもたちどうしで協力し合いながら宿題をやったことを覚えています」と、子どものころならではの微笑ましい話をしてくれました

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小屋前で父親に抱かれる橘さん(郵便受けなどは現在も残る)小屋前で父親に抱かれる橘さん
(郵便受けなどは現在も残る)

「私が本格的に山小屋で働き始めたのは昭和51年。当時は母親と二人三脚できりもりしていました。山小屋での仕事はわからないことも多く、母親にいろいろなことを教わりました。また、他の山小屋主さんなど、尾瀬に長い間関わってきた先輩方に、尾瀬や山の”いろは”を教えていただきました。しかし、まだまだ先輩方と知識・経験の差を感じます。その差を埋めるには、どうしたらよいか考え、一生懸命取り組んでいるところです。そして、私が学んだことを次の世代に伝えていかなければならないとも思っています」と、尾瀬の先輩方の背中を追い続ける思いを話してくれました。そして、話が尾瀬での防災体制に及びました。
「昭和58年、見晴キャンプ場で、台風による倒木事故が発生し、3名の方が亡くなりました。私は、その事故をきっかけに、防災体制の充実が必要だと感じ、防災関係者との情報の共有や連携を図ってきました」と、二度と悲惨な事故は起こしたくないという橘さん。

山に登ってほしい

最後に、尾瀬を訪れる方々に伝えたいことを伺いました。
「尾瀬ヶ原や花の美しさを見て感じることも貴重で大切なことですが、山に登る達成感や苦しさを味わってほしいと思います。山に登ることを目標にし、それを成し遂げるために努力や工夫することは楽しいことです。私は、そんな人たちを応援したいです」
山に楽しく登るために、ケガや病気には気をつけなければならないと話す橘さんは、シーズンオフの現在も、日々のウォーキングや近郊の山登りなどを通じて体調管理をされているそうです。

弥四郎小屋 データ

尾瀬について楽しく語る橘さん尾瀬について楽しく語る橘さん

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