尾瀬保護財団

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秘話 その8 「見晴回顧録」

見晴地区では雄大な至仏山を背景に広大な尾瀬ヶ原を見渡すことができ、四季折々の尾瀬ヶ原を感じることができます。見晴地区で山小屋を営みながら、尾瀬を訪れる登山者に尾瀬の魅力を伝え続けてきた星光さんにお話を伺いしました

星 光

尾瀬小屋
星 光
Hikaru Hoshi

見晴で山小屋を建設した頃
池塘で遊ぶ星さん(尾瀬小屋提供)池塘で遊ぶ星さん
(尾瀬小屋提供)

「もともと、父・重郎が沼尻で山小屋の建築を考えていましたが、昭和32年にここ見晴で山小屋を建築することになりました。当時の厚生省の許認可を受け、仮設小屋を作るために、温泉小屋から通っていました。その仮設小屋に大工さん達、建築木材を切り出す人達が泊まり、山から木材を切り出し、山小屋を建設し、昭和33年に尾瀬小屋を開業しました」と、今シーズンの営業を開始したばかりの尾瀬小屋で、星さんは話し始めてくれました。
「開業した当時、私は中学校に入った頃だったので、学校の夏休みを利用して、山小屋を手伝いに来ていました。ランプのホヤ掃除、荷物運びなどをしていました。その中でも、荷物運びは大変でした。米を中心とした荷物は、檜枝岐村から中継地である西田代までは村の人に運んでもらい、西田代までは小屋から取りに行っていました。米を一斗缶に入れて運んでいましたので、とても大変でしたね。米を運ぶことが大変な頃でしたから、当時の宿泊者は、一人あたり米3合を山小屋に持って来ていただき、玄関に大きな金タライと升があり計っていました。多く持ってきていただいた宿泊者からは山小屋で買い取ったりもしていました。自炊をする方も多かったですね。自炊場があり、薪1束を30円くらいで売っていました」と、当時の様子を懐かしむかのように、話を続けてくれました。
「仕事の合間には、友人と池塘の浮島の上に乗って遊んだり、六兵衛堀でイワナ捕りなどをして楽しい時間も多かったですよ。当時はまだ湿原に入れましたから」と昔の思い出を微笑みながら紹介してくれました。

山小屋主になる前の頃(昭和40年代)

「シーズン中は、山小屋を手伝っていましたが、冬は、苗場スキー場や黒姫スキー場などのスキー学校でスキーを教えていました。回転技を取り入れたアクロバットスキーなどもしていました。妻・育子ともスキー場で出会いました。山小屋の営業はその頃が一番忙しくて大変でした。6月第1土曜日は600名近い宿泊客があることもあり、周りの宿も満室で、宿泊できないお客さんを警察が見晴の各山小屋に割り振っていたこともありました。本当に忙しかったので、お客さんが多い日が過ぎるとほっとしました。今思い出すと、よくやったなあと思います。」

山小屋主として尾瀬の変化を感じること

そんな多忙な頃であった昭和49年に父・重郎さんに変わって、山小屋主になり、現在まで見晴で山小屋を営業しながら、尾瀬を見つめてきた星さん。尾瀬の変化を感じることについて伺うと、
「尾瀬を眺めると周囲の山々は変わりありません。しかし、小屋前の湿原にも多くの池塘がありましたが、湿原の乾燥化が進み池塘がなくなっていきます。そして、現在、最も困っている事は、ニホンジカの増加です。ニホンジカは湿原を掘ってミツガシワの根やニッコウキスゲの芽や花を食べ、ミツガシワのきれいだった場所はほとんど見られなくなっています。早急な対策が必要です。登山者に関していうと、昔はオゼニストなどと呼ばれる若い女性や若者のハイカーが多く、山の歌を唄い賑やな夜を過ごしていました。今は年配の方が増え、転倒等でのケガ人が多くなっています。尾瀬は、標高が高い山ので、持病のある方、心臓病、血圧の高い疾患の方は登山前に検査し異常がない時に入山して頂きたいです。登山グループのリーダーの方には、安全に配慮して登山してほしい」と、最近のハイカーのケガや病気の増加が心配と話す星さん。山小屋での過ごし方を伺うと、
「次の日の山行に備えてゆっくり休養してほしい。そして、夕焼け、朝霧の景色を見てほしい。宿泊しないと味わえないことです。」と話します。尾瀬小屋では、毎朝、館内に宗次郎さんの音楽を流しているそうです。山小屋に宿泊した方に、尾瀬のすがすがしい朝を感じてほしい、山小屋ではゆっくりして疲れをとってほしいという、星さんの深い思いが感じられました。

尾瀬小屋 データ

星さんご夫妻星さんご夫妻

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