尾瀬保護財団

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秘話 その6 「登山口の山小屋が知る苦労と経験」

尾瀬の登山口の中で、最も古い歴史を持つ大清水。
そんな尾瀬の要衝とも言える大清水で、古くから山小屋を営む物見小屋の萩原さんにお話を伺った。

萩原 清

物見小屋
萩原 清
Kiyoshi Hagiwara

林業・鉱業の中継地として
登山基地として賑わう大清水(昭和40年代)登山基地として賑わう大清水(昭和40年代)

尾瀬沼の群馬県側登山口である大清水は、尾瀬でも最も古くから利用されてきたところで、その歴史は1600年の関ヶ原の戦いまで遡ることができます。そんな尾瀬の要衝とも言える大清水で、古くから山小屋を営む物見小屋の萩原清さんにお話を伺いました。
「この小屋が他の尾瀬の山小屋と異なるのは、建設のきっかけだと思います。私の祖父・友吉は大清水から東へ約2kmほど離れた根羽沢鉱山(昭和18年に閉山)で旅館をやっていましたが、昭和20年代には周辺の山から木材の切り出しが盛んに行われ、大清水が中継・待合場所として賑わうようになり、祖父もこちらに小屋を移転したのです。その頃の小屋は『大清水待合所』という休憩所兼売店でしたが、父が小屋を継いだ際に宿泊業も始め、『物見小屋』と改名したのです」と萩原さんは記憶をたどりながら話をはじめてくれました。
「私が物見小屋を継いだのは昭和47年です。それまでは、山から切り出したブナを沼田へ運ぶトラック運転手をしていました。当時のブナはフローリング材や合板として重宝されましたので、尾瀬周辺では林業が非常に盛んでした。冬に戸倉スキー場で食堂を経営したこともあります」尾瀬周辺の山々で、様々な仕事をされてきた萩原さん。当時の大清水登山口の様子を伺うと、「昭和30年代は登山ブームと、ダム開発のために尾瀬がなくなるという噂が相まって、本当に大勢の登山者でごった返していました。鳩待峠への車道が開通した昭和38年までは、大清水が主要な登山口でしたし、当時のバスは小型でしたから朝早くから何十台も停まっていました」と萩原さん。

登山基地としての役割
売店には自宅の戸倉で採れた山菜が並ぶ売店には自宅の戸倉で
採れた山菜が並ぶ

登山者で賑わった頃の物見小屋はどんな様子だったのでしょうか。
「どちらかと言えば尾瀬から下山した方が宿泊していました。交通の便が今ほど良くありませんでしたから、日帰りで尾瀬に行くことはできませんでした。ミズバショウ時期の週末には寝る場所も無かった程です。売店も営んでいましたので、深夜に到着するバス、夕方に到着する宿泊客、翌日の仕込みなど、1日の休憩時間は2~3時間でした」と忙殺されていた当時を話す萩原さん。
「大清水は登山口であり、下山口でもあります。とても尾瀬に行くとは思えないような軽装の方が小屋前を通りかかっても、無理に止めることもできないし、案の定、下山時にケガをして途中まで迎えに行くことが幾度もありました。当時はマナーも悪く、下山客があちこちで宴会をして遅くまで騒いだり、山行で出たゴミを小屋前に捨てられたり、登山者のトラブルが多かったです」と登山基地である大清水ならではの苦労が話からにじみ出ていました。

大清水という場所

「最近は登山者のマナーが良くなっただけでなく、時間を使ってゆっくりと尾瀬を楽しむ方が多くなったと思います。大型連休中の大清水湿原では、ミズバショウのお花畑が見られますし、紅葉時期には尾瀬よりも鮮やかな彩りを見せてくれます。一ノ瀬までの林道を尾瀬へのアプローチとしてではなく、紅葉時の遊歩道として歩いていただくと良いと思います」と、大清水ならではの過ごし方を教えてくれた萩原さんでした。

物見小屋 データ

物見小屋

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